2013年 12月 29日
母の生け花〜「万年青(オモト)」 |
ここ数日、底冷えする寒さが続いている。
その寒さを感じさせない美しい緑は、文字通りの万年青(オモト)。
母屋の西側の植え込みの、山茶花の木の下に並んで植えられている。
以前このオモトを、母が目を離した隙に、父が全部抜いてしまったことがある。
抜いて集めたオモトを前に、細かく切ろうと剪定ばさみを持ち、縁側の前の腰掛けに座ったところをちょうど母が見つけたのである。
母はきょとんとしている父に、それは雑草ではなく、わざわざ植えてあるものだと説明し、今すぐ元に戻すように言ったそうだ。
オモトを知らないの?とも。
当時の父は、剪定ばさみを持つのが好きだった。
庭の植え込みの小さな木々や、垣根の枝葉を刈り込むのは日常茶飯事だった。
必要以上の剪定をやってのけることも、認知症の兆候の一つだったのだろう。
裏庭のミョウガを雑草と間違えて、すべて抜いてしまったこともある。
その後、オモトがしっかり根付くまで、母は肥料をやりながらその生長を見守ってきた。
その甲斐あって、ことしは青々とした葉が形よい大きさに育った。
ただ、珊瑚のような赤い実は、未だつかないままである。
その色も形もいいオモトを、母はことしのお正月の花に生けたいという。
庭に出て形の気に入った葉を数枚選び、水盤を前にして、葉の向きを替えながら、自分の時間を愉しむ母。
この時ばかりは、足の辛さも忘れているのだろう。
床の間に置いた、年賀の生け花。
葉の陰から控えめにのぞく赤い実。
「万年青(オモト)の一種生け」…本来あるはずのオモトの赤い実の代わりに、南天の実を使っている。
派手さや華やかさはないけれど、どこか品のある心地よいバランス。
生け花を、真上から見ることはないよと母は言うけど、心惹かれたので撮ってみた。
ことしのお正月を父は施設で迎える。
初めて父が不在のお正月。
そのお正月の花は、可笑しく切ない父の、失態のエピソードが付いた、オモトの生け花になった。
いつもと違う、父のいないお正月にふさわしい気がする。
『あきらめる こころも時には 必要と
前向く母の 手に万年青の葉』
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その寒さを感じさせない美しい緑は、文字通りの万年青(オモト)。
母屋の西側の植え込みの、山茶花の木の下に並んで植えられている。
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オモトを知らないの?とも。
当時の父は、剪定ばさみを持つのが好きだった。
庭の植え込みの小さな木々や、垣根の枝葉を刈り込むのは日常茶飯事だった。
必要以上の剪定をやってのけることも、認知症の兆候の一つだったのだろう。
裏庭のミョウガを雑草と間違えて、すべて抜いてしまったこともある。
その後、オモトがしっかり根付くまで、母は肥料をやりながらその生長を見守ってきた。
その甲斐あって、ことしは青々とした葉が形よい大きさに育った。
ただ、珊瑚のような赤い実は、未だつかないままである。
その色も形もいいオモトを、母はことしのお正月の花に生けたいという。
庭に出て形の気に入った葉を数枚選び、水盤を前にして、葉の向きを替えながら、自分の時間を愉しむ母。
この時ばかりは、足の辛さも忘れているのだろう。
床の間に置いた、年賀の生け花。
葉の陰から控えめにのぞく赤い実。
「万年青(オモト)の一種生け」…本来あるはずのオモトの赤い実の代わりに、南天の実を使っている。
派手さや華やかさはないけれど、どこか品のある心地よいバランス。
生け花を、真上から見ることはないよと母は言うけど、心惹かれたので撮ってみた。
ことしのお正月を父は施設で迎える。
初めて父が不在のお正月。
そのお正月の花は、可笑しく切ない父の、失態のエピソードが付いた、オモトの生け花になった。
いつもと違う、父のいないお正月にふさわしい気がする。
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by ryonasa
| 2013-12-29 19:24